2014年08月17日
島田雄貴「親子の間の一種のかけひき その2」
近くには湖と山があり、その山の頂上にみんなで行ってみようということになりました。
山道を歩くわけですし、赤ちゃんがいることでもあり、子どもたち三人と奥さんは残ることになりました。
子どもにもそう言い聞かせましたが、いざ出発になって、五歳の男の子が自分も一緒に行くと言いだしました。
おとうさんは、「子どもは危ないし、今日は大人が楽しみにいくのだからだめだ」と言います。
子どもは、ちゃんと歩くし、大人のじゃまはしないからとねばりますが、とにかく、おとうさんはだめだの一点張りです。
みんなが歩き出しても、子どもは泣きながらついてきます。
でも、おとうさんは、足を早めて歩きながら、「ノー」です。
やがて、子どもはあきらめて、おかあさんのほうに戻って行きました。
ここまで徹底して「ノー」と言い続けることに、感心してしまいました。
私だったら、ここまでガンコに「ノー」と言い続けることができるだろうかと、反省もし、見習わなければならないとも思いました。
子どものねばりに負けて、途中で「イエス」と言ってしまったら、がまんするしつけはできません。
おかあさんが「ダメ」と言っても、ねだり続ければ、親が折れて、こっちの言うとおりになるのだということを、子どもは学習してしまうからです。
島田雄貴・教育ITソリューション
山道を歩くわけですし、赤ちゃんがいることでもあり、子どもたち三人と奥さんは残ることになりました。
子どもにもそう言い聞かせましたが、いざ出発になって、五歳の男の子が自分も一緒に行くと言いだしました。
おとうさんは、「子どもは危ないし、今日は大人が楽しみにいくのだからだめだ」と言います。
子どもは、ちゃんと歩くし、大人のじゃまはしないからとねばりますが、とにかく、おとうさんはだめだの一点張りです。
みんなが歩き出しても、子どもは泣きながらついてきます。
でも、おとうさんは、足を早めて歩きながら、「ノー」です。
やがて、子どもはあきらめて、おかあさんのほうに戻って行きました。
ここまで徹底して「ノー」と言い続けることに、感心してしまいました。
私だったら、ここまでガンコに「ノー」と言い続けることができるだろうかと、反省もし、見習わなければならないとも思いました。
子どものねばりに負けて、途中で「イエス」と言ってしまったら、がまんするしつけはできません。
おかあさんが「ダメ」と言っても、ねだり続ければ、親が折れて、こっちの言うとおりになるのだということを、子どもは学習してしまうからです。
島田雄貴・教育ITソリューション
Posted by 島田雄貴 at 00:29
│島田雄貴